他人のトラウマにときめいちゃう人たち(2)

 

では、対女性の場合はどうなのか?

栗田氏は同様に「気持ち悪さ」を感じる女性と遭遇した場合についても書いています。

 

先日、ブログを読んだある女性から、トラウマ関連の本や医師を紹介してもらいました。

まあそれはご厚意からのものでしょうが……。

 

なんかその後、すっごくモヤモヤするんですね。

十数年ぶりにカウンセリング行ったくらいです。

 

いやさあ、そりゃ確かにトラウマ記事があることはありますよ。

でもそれが私のすべてではないんですね。

 

だから「あなたってトラウマ抱えてるのね、でもみんな同じなのよ、許すことが大事よ、自分が完全ではないという感覚があるのね、誰かを愛する事ができれば治るわよ」とかいわれちゃうと戸惑ってしまいます。

 

あの~、私が治っていないこと前提で話してます?

 

その際、私は話を合わせるために「はあまあ、私はトラウマ持ちですからねえ」という態度でいましたが、

「自分は弱者」という立場に身を置くことに強烈な違和感を感じたのです。

 

いやあ、相手がどういう心でいたかは知りませんよ。

もしかしたら100%善意かもしれません。

 

しかし私は「あなたは弱者よね、そうよね」と接される事に気持ち悪さを感じました。

そしてその感覚は『「気持ち悪い」男 ~リブ的運動内違和感ノート~』で指摘されているのと同じものです。

 

 

これって結局、ベクトルがどっちに向いているかって話ですね。

A:困ってるんだね。助けてあげよう。

B:困ってるんだね。助けてあげよう。そんなぼくってイケてるだろ?

 

あるいは、相手を「かわいそうな人」扱いして無力化することによって、

自分の支配欲を満足させているとか。

 

共依存は、弱者を救う、弱者を助けるという人間としての正しさを隠れ蓑にした支配である。
多くは愛情と混同され(支配される弱者も愛情と思わされ)、だからこそ共依存の対象はその関係から逃れられなくなる。p140

かわいそうな他者をわざわざ選ぶひと、なんらかの障害をもつ他者に近づくひとは珍しくない。
これらは、ヒューマニズムあふれる自己犠牲的選択に見えるが、「かけがえのなさ」が非対称的であれば、そこから容易に共依存という対象支配が生まれる。
ところが相手に尽くしているとしか考えないひとたちは、支配していることに無自覚である。
そんな無自覚な善意の押しつけに対して嫌悪感を抱いてしまうのは私だけだろうか。p158

『共依存 苦しいけれど、離れられない』 信田さよ子より引用

 

相手を益するためか、己を利するためか?

行動が同じでも、動機が違えばその結果はまったく違ったものになります。

 

 

うーん、この問題について語った本はあんまりないんですよね。

 

ジュディス・L・ハーマンの『父-娘 近親姦―「家族」の闇を照らす』に、

「異性に身の上話をすると恋愛トラブルになる」といった一節があったくらいでしょうか。

 

まあトラウマを抱えた人は「歪んだ支援者意識の持ち主もいる」ってことは、心に留めておかれるといいんじゃないでしょうか。

でないと、すごく無防備になっちゃいますからね~。

参考:プルガダイス絵日記「被害者萌え」

 

そもそも、なぜ人は自分より弱い人を求めるのでしょう?

かわいそうな人がいてくれることで、初めて自分の生き方を肯定できているのですから、たぶん当時の小室さんは「かわいそうな人」を自ら求めていたのだろうと想像します。

SWASHの要友紀子がよく言う「弱者萌え」です。不安に満ちているほど、他人の不幸を求め、自分より弱い存在を求めます。

弱者救済みたいな活動をしている人が、自分の中に解決できない問題を抱えているケースを時々聞きます。実際に弱い自分を自覚し、それを克服するために障害者というもっと弱い人の問題に関わり始めたとはっきり公言している人もいます。引用

 

もし人が自分の弱さゆえに、他人の弱さを求めるというのであれば、

この件は「自分はそうはしないでおこう」と、戒める大変良いきっかけになりました。

 

占い師はそういうトラップにハマる可能性ですからね。

は~、くわばら、くわばら。

 

それではまた~。