占い師は見た。これが「不幸な人」の習性だ!
やっほー、黄玉ちゃんでーす。
そろそろ寒さが厳しくなって参りましたね。お元気でしょうか?
さて今回は「不幸な人」について語りたいと思います。
まあ不幸といってもいろいろありますよね。
今回取り上げるのは、割とライトで、でも年中不幸! っていう人です。
たとえば、いつ会っても「最近ツイてなくって~」という人とか。
「あたし、男運ないんですぅ~!」って力説するお姉さんとか。
そんな人たちの行動パターンをあぶりだしてみましょう。
この反対をすれば、運が向く!……かもしれません。
(1) 行動しない。
まずこの人たち、とにかく自分から動きません。
「〇〇の方角がいいですよ。行ってみましょう!」といっても、まず行きません。
「あ~、〇〇ですかぁ~……どうしよっかな」と言って、そのままです。
(2) 行動しても、遅い。
そして、何もかもが遅いです。
メールの返信からお礼状の発送、コンビニへ行くか行かないかまで、とにかくありとあらゆる決断が遅いです。
定食屋さんで、30分もメニューを眺めてるような人は要注意です。
また普段はこんなに慎重(?)なのに、家を買う時は五分で決断したりなど、どうも決断力のバランスがおかしいです。
(3) タイミングが悪い。
仮に行動を起こしても、決断が遅いため、その頃にはタイミングを外しています。
特に恋愛関係では、このタイミングのズレは命取りとなってしまいます。
あなたが「この仕事を片づけてから~」とのんびりしている間に、ライバルはその子とニャンニャンしてます。
(そもそも、仕事のスケジュールと恋愛は関係ないですよね? 男性が犯しがちな過ちです)
(4) 何がチャンスなのか、見えていない。
これも致命的ですね。
どうもこの人たち、自分の前に現れたチャンスがわかっていないようなのです。
「それは素晴らしいチャンスですね。ぜひどうぞ!」といっても、ピンときていません。
そして行動を起こさないままか、行動を起こしても時遅く、タイミングを逃してしまっているのです。
そして幸運の女神が遠~く離れた頃になって、
「そろそろ動こっかなって思うんですけど。いつがいいですか?」などと、聞かれます。
もう遅いですよ!
ノンキに占ってる場合じゃありません。
(5) かなりの確率で不幸になる質問。
しかし占いにこられてる以上、自分の幸福には関心があるわけです。
それなのに、なぜこうなってしまうのでしょうか。
こういうプチ不幸な方が、共通してする質問があります。
それは「この先、大きなお金が入ってきますか?」というものです。
「融資を申し込んでいるのですか?」「いえ、別に」
「遺産が入るアテでもあるのですか?」「いや別に」
「宝くじでも買っているのですか?」「まだ、何も」
……つまり、お金が入る予定は何もないのに「何かいいことが起こらないかなあ~」と期待しているのです。
当然占いの答えは「NO」です。
それどころか「無駄遣いをやめなさい」という答えが返ってくる始末です。
こういう質問をする方は、どこか他力本願気質が抜けないのですね。
それは改めた方がいいんじゃないかなあ、と思います。
(6) 自分の中に「幸福がある」ことに気づいていない。
不幸な人たちというのは、自分から幸運を遠ざけるような行動ばかりしています。
しかし、実はその人たちにも幸運はあるのです。
だって占いへ来て、占いをするお金があるんですよ。
そもそも、ほんとにモノスゴク絶望的に運が悪ければ、とっくに命数が尽きているはずです。
お客さまは「不幸だ、不幸だ!」と力説します。
けれど「そうです……かあ?」と言いたくなるような、恵まれた環境にいたりします。
どんなに運の強い人にも不幸な日はあります。
また、どんな逆境の中にあっても、幸運な日はあります。
実際、不幸な方にもぽつぽつとチャンスはきています。
しかし、上記のような理由でチャンスを逃し続けている……。
そう、つまり不幸な人というのは「幸運を逃し続けている人」なのです。
チャンスはあります。けれどそれを追っていない。見逃している。スルーしている。
そりゃー、幸運もやってこないでしょう。
それに幸福というのは、わかりやすい形でパッと現れるわけではありません。
多くは、苦の中に幸いが宿っています。
苦難を避け続けてばかりでは、真の幸福は得られないでしょう。
(7) じゃあ、どうすれば幸せをつかめるんだよ!
はいはい、占い師ブログですからね。対策も言わずに終わりにはしません。
まあいちばんの問題点は「幸運への嗅覚が鈍い」ってことですね。
直感力のありなし、と言いかえてもいいでしょう。
なーんで、そんなに幸運不感症なのでしょうか?
それは自分の中にある幸運をないがしろにしているからです。
よく「今あるものに満足しましょう」とか「感謝の心を持ちましょう」とか「足るを知る」とか言いますね。
それは偽善的な意味ではなく「自分の中にある幸福のタネ銭をつかむ」って意味では非常に有効です。
タネ銭って……。(ギャンブルや投資などで、もとになるお金のこと)
もっとお上品な表現はできないのかしら?
いや、まあ、キラキラスピリチュアルに抵抗のある方向けの表現ですよ。
邱永漢だって、一円を拾わないわけじゃない。
いや、むしろ喜んで拾って洗ってお財布に入れていたでしょう。「一円玉でもしっかり拾ってください」
「一銭を笑う者は一銭に泣く」なんですよ。
以前仕事の関係で、借金まみれの人の部屋に入ったことがあります。
その日の暮らしにもことかく有様なのに、畳の上に一円玉が散らばっていました。
「お金ないない!」って、まずそれを拾えばいいのにね。
一円を大切にしない人は、たくさんのお金から嫌われてしまいます。
幸福だってそれと同じではないでしょうか。
まずは、今の幸福を大切にしましょう!
そうすれば、もっと素晴らしいものをつかめるはずです。
そして今度は「より幸福になる」ために、鑑定を受けに来てくださいね。
お待ちしてまーす。ではまた!