アダルトチルドレンの罪悪感はどこからきているのか
アダルトチルドレンとは、子どもらしい子ども時代を過ごせなかった人のことです。
無邪気にはしゃいでると「うるさい!」と怒られたり、
常に親の顔色をうかがってびくびく生活したり、
母親から「旦那が不倫して……」と相談されて、
子どもなのに「ふぅ~ん、奥さんも大変なんだねえ~」と答えなければならなかった人です。
イメージつかめますか?
さて、そんなアダルトチルドレンの人につきものなのが「罪悪感」です。
なんか知りませんけど、生育環境に問題があった人は、だいたい罪悪感を抱えていますよね。
いったいその、汲めども尽きない罪悪感は、どこからやってきたのでしょうか?
さて、以前私はネット依存に悩んでいました。
なんの話かと思うかもしれませんが、まあお聞きください。
「私はどうもネットの時間が長いな。くだらない記事ばかり読んでる」と思っていたわけです。
それで、あれこれの手段でやめようと思ったわけです。
が、うまくいかない。
常に「やめたい/やめられない」の状況にあるわけです。
では、その「ネットやりたい」という気持ちはどこからきてるのか?
その気持ちをセラピーしていけばいいわけです。
かなりの部分をはしょりますが、私のネット依存は「ネットやりたい」という気持ちが原因ではなかったです。
「常に私を責める心」が原因でした。
その気持ちがあるせいで、5分だらだらとネットしていただけで、
「こんなことではダメだ! もっときちんと時間管理しなければ!」と思っていたのです。
そもそも私が、ネットに依存していたのかどうかも怪しいですね。
ネットに夢中で〆切に送れたことなんてなかったので(そうなってたら、問題でしょうが)
自分が「これでいいや」と思えたなら、その時点で問題は消失してしまいます。
どうですか~、このややこしい心の仕組みは。
私「ネット依存をなんとかしたいなあ」
その悩みはもっともなようでいて、実はぜんぜんピント外れだったのです。
「私を責める心」があるがゆえに、その悩みが作り出されていたのです。
じゃあ、その「常に私を責める心」って何なのか?
それは幼い頃から、常に私にダメ出しをしていた両親のコピー人格なのか。
それも大いにあるでしょう。
だけど、まだ何かあるような……?
ある夜、私はふと目が覚めました。
「これが中途覚醒ってやつか。年なのかなあ」と思いつつ、水を飲んだりしました。
そして、ある思いが心に浮かび上がってきました。
「私が悪いから、愛されないんだ」と。
なぜアダルトチルドレンの人は、そろいもそろって、みな判で押したように「罪悪感」を抱えているのか。
まず「愛されない」という状況があって、
(=少なくとも、本人にとっては「愛されている」と感じられない状況であった)
それは「なぜ」なのかと子ども心に考えた時、こういう結論が出やすいのではないか。
神は正しい。
両親は正しい。
この世界は公平だ。
ならば、間違っているのは自分だろう⇒自分を責める。
「公正世界仮説」って知ってますか?
勧善懲悪、努力は報われる、報われないのであれば自分が悪い、という世界観です。
けれど卓越した業績があっても、人種差別がある時代だったらどうしようもないですよね。
「この世界には理不尽なことがある」と思えたならば、その罪悪感は消えるのかもしれません。
あなたの罪悪感、自責心は、いったいどこからどのようにしてやってきたのか……。
考えてみたら面白いかもしれませんね。