月の欠損、あるいはアッティスの神話について
近年、マドモアゼル愛先生は、月の欠損について精力的に発表しておられますね。
「人は月にある性質のものを獲得しようとしてもがくが、それは幻想で、そんなものを求めても何も意味はない。
それより自分の太陽を輝かせることが肝心だ」という説です。
私はこれを「自分の幼児的退行欲求の自覚と、その超克」として捉えました。
また「これ、きっとテレフォン人生相談の経験から生まれた占星術だろうな~」とも感じました。
人間には、自分でも自覚していない、恐るべき退行欲求があります。
そしてそれは通常、無意識のなかに潜んでいて、自覚するのはとても難しい。
「月の欠損」は、その部分にメスを入れてるんじゃないかな~、と。
マドモアゼル愛先生というと、
「陰謀論やフラットアースを信じてる、ヤバいおじいさんでしょ? ププー」みたいな反応もあるでしょうが、まあちょっとお待ちください。
「アッティスの悲劇」というギリシア神話を知っていますか?
両性具有の神、アグディスティスは、神々の奸計に陥り、男根を切り取られた。
河の娘ナナは、その男根を手にし、子どもをみごもった。
その子がアッティスである。
アッティスは成長し、美男子となった。
男根を切り取られ、女性となったアグディスティスは、息子に恋をした。
(おいおい)
だが、アッティスは王の娘と結婚したかった。
結婚式の当日、アグディスティスは式に乱入し、神としての力を使った。
狂乱したアッティスは、自分で自分の男根を切り落として、死亡した。
神話というのは、荒唐無稽なストーリーの中に、普遍的真理を伝えてくれています。
アグディスティスは、息子の成熟(=結婚式)を全力で拒否しています。
また、その近親相姦願望は「子どもを胎(はら)の中へ戻したい」という、ネクロフィリア的欲望の発露なのではないでしょうか。
ヘイ、ボーイ!
いつまでもママのおっぱいしゃぶってちゃ、ナニをちょんぎられて死んじゃうぞ☆
マド愛先生は、月に対して否定的で「人を幻惑させる死の星だ」くらいのことを言っていて、
その物の言い方に反発を感じる方もおられるでしょうが、
私には非常に納得できます。
いつまでも、子どものままでいてほしい……。
それ即ち、成長の停止。
時間の停止=死。
母のその無邪気な願いは、実は死に直結することなのです。
そして、自分の退行欲求にひきずられたままだと、知らず知らずのうちに自分自身を殺す(=自己去勢)することになってしまう。
自分の月星座とオポジションの位置にある星座のファッションをすると開運するよ!
とか、そーいう次元の話じゃない。
(もちろん、それも楽しいですけど)
死ではなく、生に向かえ。
これ以上に重要な教えなんて、他に何もないでしょう。
私は占星術はド素人ですが、月の欠損は非常に面白く感じました。
皆さまはどう思われるでしょうか?
それではまた~。