憑かれているのか、憑けているのか? 『私の遺言』佐藤愛子を読む

 

佐藤愛子の、ちょっと変わったエッセイ「私の遺言」を読みました。

何が変わっているのかというと、怪奇現象もりだくさんだからです。

 

北海道に別荘を建てたら、アイヌの祟りでさあ大変。霊能者を交えて除霊バトルのはじまり、はじまり~。

江原さんや美輪さんなど、有名霊能者がたくさん出てきます。

 

佐藤女史は彼らからアドバイスを受け、アイヌの先祖の祀りや、熊送りなど、さまざまなことをやります。

だが奮闘むなしく、野狐、成仏してないご先祖、巨大な白狐などが次々と襲来します。

古神道の大家が亡くなり、佐藤女史は、いよいよ何も頼るものがなくなってしまう。

 

この物語のラストは、意外にあっけなく解決します。

 

佐藤女史が「血脈」という小説を書いて「先祖のカルマが解消されました、よかったですね」となります。

そこまで読んで、私は奇妙な思いにかられました。

「本当にアイヌの怨霊はいたのか?」と。

 

いや、妄想だっていってるわけじゃないですよ。霊的現象自体は存在していたのでしょう。だがそれを「誰が」引き起こしたのかについては、クエスチョンを投げかけたいです。

 

というのはですね、これ憑霊業界では有名?なブログ、からあげ子のブログと展開が似ているんですよ。

からあげ子さんも、年中「憑かれた、憑かれた」といっていて、幽霊よけのあらゆるグッズに手を出します

しかし、のちに「憑けていたのは自分だ!」と開眼します。

そして一切の憑霊現象は鎮まるのです。

 

こういうのって、ふしぎと、霊能者巡りをしている間は解決しないのですよね~。

 

佐藤女史は、家族に対する葛藤がいろいろとあったんじゃないですか? 「血脈」の執筆によって、その葛藤を解消したので、ポルタ―ガイスト現象はぴたっとおさまったと。

 

アイヌとか、白狐とか、そもそも存在していない。

いたとするならば、それはアイヌや白狐の姿を借りて現れた、佐藤氏の内なる心的エネルギーのあらわれなのでは?

 

それに前世がアイヌの女酋長なのに、なぜアイヌに祟られるのか。「私の現世を邪魔するな」っていえばすむ話では?

 

・じゃあ霊能者はウソをいってたのか。

⇒そんなことはない。佐藤氏の中にあるものを見てたのだろう。ただ、それがアイヌなのか、狐なのか、はたまた佐藤女史の潜在意識にあるイメージなのかは、解釈の別れるところだ。

 

・この日本心霊科学協会の長ったらしい狐降ろしはなんなんだ。ぜんぶペテンか?

⇒霊を誰かに憑けてしゃべらせ、それを鎮めるというのは、世界中にある癒やしの技法である。現代でもイタリアのエクソシストたちが似たようなことをやっている。

 

・だからってポルターガイスト現象まで起きるのか。

⇒「家族を殺された恨み」のはずなのに、シーツが二枚なくなったり、スリッパの片方がどこかへ飛んでいったり、いたずら電話が延々かかってくるだけだ。

 

別荘の権利書がなくなったり、書きかけの原稿がなくなったり、娘さんが惨殺されたりはしない。佐藤女史は憑依体質というより、念力体質なのでは? 自作自演でポルターガイストを起こしていたのではないか。

これは超能力を信じるか、憑依を信じるか、という問題じゃないですよ。

「原因は内か外、どちらにあるのだ」ということです。

 

佐藤氏は終盤になっても「霊を成仏させるのは、私のカルマだった」という言い方をしています。

なんつーか、「悪霊が」とか「祟りが」とか簡単にいっちゃうのは危ないと思いますね……。

 

「あいつが悪い。私は被害者」

こんなふうに穢れを外在化させると、生きるのがとっても楽になります。

でも、どの霊能者に頼っても解決しなかったのはなぜなんでしょう~。

その古狐は、佐藤女史自身だから……なのでは?

 

佐藤女史が本当に鎮めるべきは自分の魂であったのではないか。

佐藤女史も、その「霊団」と戦うことによって、だいぶんハッスルしてたようじゃないですか。仮想敵を作ることのメリットもあったのでは?

 

くり返しますが、霊的現象を否定しているわけじゃないですよ。

あなたの前に現れた怨霊または未成仏霊、古狐は、実はあなたの魂の一部が外在化したものかもしれない……。

「憑霊現象がどうしても解決しない」って方は、そのへんも考えてみた方がいいと思いますよ。

 

最後に、鎌田東二の句をご紹介します。『霊性の時代』p161

魔も仏もわれよりほかになかりけり