はい、ここからさらに夢のビターな側面について見ていきます。

 

夢に向かってがんばるぞ!

でもそれが叶わなかったら……。

 

さてここに『余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると』という本があります。

著者は詩人で、アメリカで末期患者向けのセミナーなどを開いている人です。

 

この本は、全編が仏教的なアプローチに貫かれています。

肯定的な執着(ワクワク)も、否定的な執着(恐怖)も手放して、安らかな死へと向かおう、という姿勢ですね。

 

ある日、ワークショップに死に瀕した男性が現れてこう言います。

なかでもひときわハンサムな男性が独り直立不動の姿勢で立ち、次のように語った。エイズにかかって以来の闘病生活で一番辛いのは、過去二十年近く映画界で名を挙げようと努力してきたのに、もう成功の見込みがないとわかったことだ。主役として活躍するだけの時間が自分にはもうない。自分の名前が映画タイトルの上に書かれたのを見るのが夢だったが、その夢は自分の肉体とともに崩れつつある。

(略)

人生に裏切られ、自分も力不足で倒れたと感じている彼にとって、破れた夢は臍の緒のように彼ののどを締め、誕生の完了を中断し、首を絞めて死の完成を妨害していた。p213

 

さあ、どうですか。

夢を追いかけている人なら、きっと胸をえぐられるような気分になるでしょう。

 

だけど、著者はこういう人になれっこになっています。

 

自分の価値を証明するトロフィーをほしがる人は、深い失望ゆえに自分はだめな人間だと感じる気持ちがそうした欲望を生むのだということがわかっていないのではないだろうか。

自分自身の偉大な真理をまだ発見できず、癒されるために生まれてきたのにまだ癒されず、彼らは社会的な成功で我慢する。彼らの夢がスターになることだろうが、本を出版することだろうが、真実の愛に出会うことだろうが、かんしゃく持ちを直すことだろうが、自分の人生は不完全だと感じている。p215

 

劣等感またはコンプレックスまたは心の傷 → それを埋めるために夢を実現したい

「夢を叶える前にまず自分自身を癒せば?」という話ですね。

 

 

これ、職業としての夢を叶えることに限った話ではありませんよ。

・どうしても結婚したい。

・どうしても子どもを産みたい。

・どうしても年収一億円欲しい。

 

そこに執着してなかなかうまくいかない人は、存在意義(レーゾンデートル)としての夢を追いかけている可能性があります。

 

「自分は〇〇を達成しなければ、一人前になれない/女としてダメだ/恥ずかしい」と、いう思い込みです。

それすなわち、強力な自己否定です。

 

またこれは存在意義を立証するための闘いなので、あきらめようにもあきらめられません。

執着の気持ちも大変強くなります。

 

それじゃあ、夢を追いかけていても苦しいし、死んでも成仏できないでしょう。

 

今すぐに自分の人生を癒す作業を始めないといつか本当の死がやってきて、人生を振り返った時にどうすることもできないのだ、という点になかなか気付かない。p106

 

ちなみにこういう人は、どれだけ夢を叶えても満足できません。

自己否定感情は1ミリも変化していないため、「もっともっと」と際限なく何かを求めていきます。

 

こういう方は、もうちょっと自分の心の癒やしに目を向けてもいいんじゃないでしょうか?

 

だって最終的には「真実の愛」さえも、あなたの救いとならないのですから。

自分で自分を救ってみましょー。

それではまた!