無謀としか思えないチベット旅行!

それなのになぜ慧海は無事だったのか? その成功の秘訣は何なのか?

慧海がチベット入りするまでの苦難を、ダイジェストで追っていきましょう~。

 

(1)今あるものをすべてなげうつ

 

どうもこの慧海さん、かなりのエリート僧侶だったようで。

当時32歳で「住職にならないか」という話もあったようです。

 

しかしとにかく修行ラブな人ですからね。

その実私は二十五歳で出家してから、寺や宗門の事務の為に充分仏道を専修することが出来なかった。一切蔵経を読んで居る中においてもときどき俗務に使われる事があってせっかく出家をした甲斐かいがないから、かの世界第一の高山ヒマラヤ山中にて真実修行を為し得るならば、俗情を遠く離れて清浄妙法を専修することが出来るだろうという、この願望が私のヒマラヤ山道を越えて入蔵する主なる原因でありました。

 

日本での安楽な日々をポーンと捨てて、チベットに無銭旅行することを決意します。

 

(2)万全の準備

 

よしチベットへ行こう!

しかし頼れるものは我が身ひとつ。慧海は入念な準備をします。

 

まずインドのダージリンで7ケ月ほどチベット語を勉強しました。(ここでは学費を払ってます)

子どもとおしゃべりして、チベットの俗語もバッチリです。

またインドからネパールを通ってチベットに行くのですが、間道について乞食から聞き出すなど、ちょっとスパイめいたこともやっています。

 

慧海は、チベット僧と議論を戦わせるほどの語学力があります。きっと猛勉強したんでしょうね。

ちなみに日本を出発してからチベットの大学で学ぶまで4年間かかってます。

 

(3)迷ったら座禅!

 

慧海は無銭旅行で、「ワタシ中国人よ」と身分を偽り、チベットに潜入します。

ある時慧海は「人家のある道を行くべきか、それとも深山の間道を取るべきか」と悩みます。

人家のある道を選べば密告の恐れが。

間道を取れば遭難、盗賊、猛獣の恐れがあります。

 

うーん、困った、困った。そんな時は座禅だ!

そもそもこの断事観三昧(だんじかんさんまい)ということはおよそ事柄が道理で極められる事はその道理によりて善悪の判断を定めると言うことはむつかしくない。ところが理論上において少しもきめられぬ事で将来に対してはどういう事が起って来るか、未定の問題については何か一つきめて置かなければならぬ事がある。それは私は仏陀の坐禅を示された法則に従ってまず無我の観に入るのであります。その無我の観中発見された観念のある点に傾くのをもって執るべき方法をいずれにか決定するのでござります。そこで仮にこれを断事観三昧という名をつけたのでござります。すなわちその方法によって向う所を決しようと思ってそこに坐り込んで坐禅を組んで我を忘れて居ったのですが、その時はどの位多くの時間を費やしたかも自分ながら分らなかったのでござります。

 

なんですかその極・個人的特殊スキルは。

どんな冒険家の本を読んでも「座禅で窮地を切り抜けた」とは書いていないでしょう。

しかし旅行記の中で、慧海はたびたび座禅を組んで難局をどうにかしてます。

さすが禅僧ですね!

 

 

(4)本当に困った時はなすがまま!

 

慧海は道に迷いながらも、出会った人に助けられ、チベット山中を進んでいきます。

高山病で大喀血して、体のふしぶしが痛み、さらに目が覚めると霰(あられ)がバラバラと降ってきます……。

けれどこんなのはまだ序の口。

 

極寒の中、氷河をわたらなければなりません。もちろん泳いで。人跡未踏の奥地に船など存在しません。

どうにかこうにか羊(荷物運搬用)を向こうへ渡したものの、荷物をかついで河を進んでいたら、足がすべって溺れてしまった!

荷物を放せば助かるけど、そしたら食料を失って飢え死にしてしまいます。

 

その中にだんだん押し流されて水を飲む。腕も身体も感覚が鈍くなって利きかんようになった。もう一丁ばかり向うの方へ流されると大きな池の中へ持って行かれるにきまって居る。こりゃこの川で死んでしまうのか。どうせ喰物がなくなって死なねばならんのならいっそ水で死ぬ方が楽かも知れんという考えを起して臨終の願を立てていいました。十方三世の諸仏たち并ならびに本師釈迦牟尼仏、我が本来の願望は遂げざれとも我らの最恩人たる父母及び朋友信者らのためにもう一度生れ変って仏法の恩に報ずることの出来ますようにと願いを掛けまして、もうそのまま死ぬ事と決定して流れて行ったです。

 

そしたら偶然杖のつくところに流された! ラッキー!

 

びしょ濡れで体が冷え切って、ショック死してもおかしくないような状況ですが、宝丹を飲んで何とか回復します。

➡ 慧海は困ったとき、いつもこの薬をのんでます。仁丹みたいな薬なんでしょう。しかし、漢方薬をのんだくらいで高山病や極度の体温低下をどうにかできるんですか? いろんな意味でスゴいですね。

 

さて、一難去ってまた一難!

 

いよいよヒマラヤ山中に入りました。

しかも夜。暴風。大雪。

連れてきた羊は疲れてへたりこんでしまう。

もちろん、テントも何もありません。風を避ける岩かげもない。パーフェクトな遭難です。

 

慧海は羊を両脇に従え、体に丁子油を塗って(せめてもの保温のため)頭から布をかぶって座禅です。

さすがの慧海も死ぬ覚悟をします。

 

こりゃどうも危ない。しかし今更気を揉んだところで仕方がないからこのまま死ぬより外はあるまい。仏法修行のためにこの国に進入して来た目的も達せずに高山積雪の中に埋れて死ぬというのも因縁であろう。仏法修行のため、この道に倒れるのは是非がない。そう歎くにも及ばないがただ自分の父母、親族及び恩人に対してその恩を報ずることの出来んのは残念である。どうか生れ変ってからこの大恩に報じたいものであるという考えを夢心に起しましたがそれから後はどうなったか少しも知らない。もし人があってこの境遇を評したならば全く無覚である。我を失って居るものである。あるいは死んだ者であるといわれるような状態に陥ったものであろうと後で想像されたです。

 

けれど、不思議と慧海と羊二匹は助かりました。

なんでやねん。生物学的におかしいよ。

御仏のご加護があったとしかいいようがないですね。

 

 

(5)常にポジティブ思考

 

そんな慧海はとにかくポジティブです。

命からがら遭難を免れたものの、今度は羊が暴れて逃げて、荷物を落としてしまいます。

あたりは一面の草原。日本的な感覚の「草原」ではないので、海の中に物を捨てたのとほぼ同じです。

 

その中に何が入れてあるかというと時計、磁石、インド銀が四、五十ルピー、それから食物を喰う椀、乾葡萄、西洋小間物の人に遣って珍しがるような物も大分入れてあった。そこで私は少し考えた。こりゃもはやマナサルワ湖に近づいて人に逢うことも近くなったのであろう。それにこういう西洋物を持って居ては人から疑いを受けて奇禍を買うようになるから仏陀がわざとこういう物を失わせるようにされたかも知れない。主に西洋物ばかり入れてあるもの一つだけ失ったのであるからこれは捜す必要はない。ただ少し困難なるは銀貨を少し失ったけれどもそれはほんの当座用に出して置いたのだからさして困難もないとこう考え直して捜すことを止めたです。

 

「これも仏陀のお導きであろう」

そんなふうに考えて、あっさりと探すのをやめます。

 

この前私は、新しく行ったC歯科医の診察券を紛失してしまいました。部屋中ひっくり返して大掃除したんですが、見つからないんです。

これは「その歯科医へ行くな」という仏陀のお導きなのでしょうか?

 

続きます。