縁切り神社の深~い話 ―赦しあるいは訣別について―
こんにちは、黄玉です。もう秋ですね。
最近は金銭欲にまみれたドロドロの記事ばかりです。
ここらでひとつ、心が洗われるような記事を書いてみましょう。
このブログをご愛読の方は、うすうす私の家庭運の悪さにお気づきかと思います。
現在、父は既に他界、母とは没交渉。
分籍までやって、ありとあらゆる手段で絶縁しました。
・分籍=戸籍をわけること。法律上特に意味があるわけではありませんが、気分の問題ですね。
私は親族中で唯一、父方の祖母とだけは付き合っております。
彼女は私に対して暴言・暴行をくわえず、適切な養育をしてくれたからです。
けれども……。
その世代なら仕方ないのかもしれませんが、祖母は家父長制どっぷりなところがあります。
普段はそーいうことはいわないのですが、
何かの拍子に「〇〇家の跡継ぎが」「血筋が」「家は長男に残すもの」などという考えがポロッと出てきます。
まあそんなことは勝手に思っておいてくれたらいいのですが、当時の私はイラッときました。
「あなたは今『いろいろあったけど〇〇家の血は途絶えなくてよかった~』と思っているようだ。フン、バカバカしい。あなたの息子が私に何をしたか教えてやろうか? 父を生んでああいうふうに育てたあなたにも一端の罪はあるのではないか?」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというやつです。
私の父は早くに他界したため、適切な報復ができていません。
それにこの祖母とつながっていると、また親族との付き合いが発生しかねません。
祖母含めて、すべての血縁をブッたぎった方がいいのでは? と思いはじめました。
よし、そうしようか! オール縁切りです。
そこで私は気合いを入れるために「地名 縁切り神社」で検索して、最寄りの縁切り神社にいきました。
現代的だか古風だかわからない行動ですね。
今まで聞いたこともないマイナー神社ですが、なかなかキレイな感じです。
それはそれとして、この神社……何かいる?
本殿じゃなくて奥宮の方に何かあるような。気のせいかな。
お参りをすませて、町をぶらついていると……。
今までになく父の人格的未熟さが思い起こされます。
見た目は大人、頭脳は子ども、それが私の父でした。
私は「うーむ、とりあえず本人は死んでるし、アレのことはもういいか?」と思って、祖母との縁切りは先延ばしにしました。
いやいや、やはりすべての縁を断ちきって身軽になるべきでは? スッキリすると思うんだけど。
そこで二回目のお参りです。
おみくじを引いてみました。こんなん出ました~。
第四十五番 恨むおもいは炎となって人も己が身もやきつくす
波立たぬ平らかな心の海には、神様の御光りが澄み入って清々しい。人を恨み、憎む心は、先ず我が胸をこがして、炎となり、刃となって先方をきずつける。それが又目にこそ見えね 木霊の様に再び自分に返り来つて身を害なう。まず恨みの炎を打消し、心の波を静めよう。
ぐっ……。
神さまが何とおっしゃりたいのかは明らかです。
「縁切りするべきはその恨みの心だ」といいたいのでしょう。
え~、そうなんですかあ?
よく「トラウマを消すには、最終的にはその相手を許すことだ」といいます。
こっちが被害を受けて、さらに相手を許してやらなくちゃ自分が救われないなんて、すっごい損な気分なんですけどぉ~。
引き寄せの法則とかでも「ネガティブな気持ちでいるのはよくない」とくり返し説かれています。
これは実際にそうで、ネガティブマインドで心をいっぱいにしていると、脳のリソースがとられて、新しいアイデアを思いつきにくくなります。
確かにそれはそうなんですが……。
その後、不承不承生活しているうちに、だんだん気持ちが落ち着いてきました。
そこで「祖母とは今まで通り付き合って、親戚づきあいは祖母が死んだら終わりにしよう」と縁切りレベルを下方修正しました。
それからいろいろその神社を調べていくと、
どうも「穢れを祓う力」が強いところのようですね。
これは、私の恨みを祓ってくれたんですか?
➡ まあ神社っていうのは、もともとそうした場所なんですが。「現世利益成就」というより「悪い気を祓って、流れをスムーズにするための場所」という意味が強いです。
ネットでは「縁切り神社の効果がすごかった!」的な体験談があります。「イヤな上司が左遷されてラッキー!」みたいな。
私の場合は全然違いました。
「恨みの心を水に流す」という、実にマイルドで日本的な解決方法です。
ただもしかしたら、これはより上位の縁切り方法かもしれません……。
「あいつが憎い! 離れられた! ああ、よかった!」というより「あ、それ? どうでもいい」の方が、無関心レベルは上です。
相手と心理的に完全に決別することができれば、それがベストですよね!
さて、ここでの結論は「恨みを手放すのが大事」ですが、いきなり「相手を許そう」なんて思ってもうまくいきません。
相手を憎み切るプロセスがないと、自分は解放されません。
それをやったうえで、なおかつ「残った恨みをどうするのか?」のケースです。
スピ本の結末だけ読んで「許さなくちゃ……」と悩んでおられる方、そんなことする必要はありませんよ。
恨む必要がある間は恨むべきです。それは必要なプロセスです。
➡ こういう問題では「相手を許すのが大事」といいますが、「許す」という言葉は不適当だと思いますね。日本語だと「〇〇ちゃん、もう許してあげる! 一緒にあそぼ」みたいな、仲直りを前提としたイメージがあるでしょう。相手と仲良くする必要なんて1%もありませんよ。
「赦し」とは、関係性の回復を前提とした言葉ではない!
ここは要チェックです。
「相手と訣別する」「問題を手放す」「過去にとらわれなくなる」などといいかえた方がいいでしょう。
真の縁切りとは、自分の世界から相手を退場させることです。
恨みの心を含めて、相手の影響を全デリートする。
余分なデータを削除してスッキリ☆ という感覚に近いですね。
こんな縁切りの形もあるということです。
💡 こんなわかったふうなこと書きましたが、結局は祖母と絶縁しました。(おいおい……)
その詳しい経過はまた別記事で!